By Beto from EIGLOBE
A pesar de ser una pregunta muy simple y sencilla, nunca ha sido fácil para mí responderla de una manera rápida. Siempre necesito responder aquella pregunta con una explicación. Una pregunta que mucha gente puede responder con tan solo una palabra, a muchos otros les toma más tiempo contestar. Esto es algo que muchas de las personas que nacieron en un sitio, pero han crecido en otras ciudades u otros países podrán entender.
Yo pertenezco al grupo a los que les toca explicar cómo crecieron para poder dar a entender quien es uno. Sin embargo, uno mismo queda con la duda: ¿Habré respondido a la pregunta?
これはとても簡単な質問なのに、私はそれにすぐに答えることができません。毎回、その質問には説明を添えて答えなければならないのです。多くの人がたった一言で答えられる質問でも、私のような人にとっては、答えるのに時間がかかります。
この気持ちは、おそらく「ある場所で生まれ、別の街や国で育った人」にはよく分かってもらえると思います。
私もまた、「どのように育ってきたか」を説明しなければ、「自分が誰なのか」を相手に伝えることができないグループの一人です。でも、説明を終えたあとでも、心の中にひとつの疑問が残ります。
――私は本当に、あの質問に答えられたのだろうか?

少しだけ、自分自身のことをお話ししたいと思います。というのも、こういった経験があることを想像したこともない人たちに、別の視点を知ってもらえたらと思うからです。そして同時に、私のような経験を持つ人たちに、「あなたは一人じゃない」と伝えたい気持ちもあります。今のように多様性が広がる時代では、こうしたことは決して珍しいことではありません。
まず最初に、私はコロンビアの首都ボゴタで生まれました。でも、ボゴタで生まれたとはいえ、ずっとそこに住んでいたわけではありません。私の両親の仕事の関係で、私は小さい頃から何度も引っ越しをし、いろいろな街を転々としてきました。言ってしまえば、「旅をしながら育った」とも言えるかもしれません。
コロンビア国内のさまざまな都市に住みましたが、それでも子どもの頃に一番長く過ごしたのは、ほんの少しの差でボゴタでした。――では、そのことは「私がボゴタ出身だ」ということになるのでしょうか?それとも違うのでしょうか?
さらに言えば、私の両親の家族はどちらもボゴタ出身ではありません。どちらの家族も、他のコロンビアの都市から来ています。実はこれは、ボゴタで生まれた多くの人に共通することでもあります。
――それでも、私は「ボゴタの人間」だと言えるのでしょうか?

ボゴタは本当にすばらしい街です。多くの人が「寒い」と言いますが、どこの国でも同じで住んでいれば自然と慣れていくものです。それは、私がエクアドルのキトに引っ越したときにも同じでした。
まだ子どもで、心や考え方が多感な時期に、私は別の国へやって来ました。でも、不思議なことに、特別な違和感は感じませんでした。もちろん、まだ幼すぎて周りの細かい違いには気づけなかったのかもしれません。でも、ひとつ確かなのは――私はすっかりキトの人たちの話し方(アクセント)に馴染んでしまった、ということです。
その結果、キトでは「コロンビアなまり」をからかわれ、逆にコロンビアに戻れば「エクアドルなまり」をからかわれることに。どこに行っても「ちょっと違う」と言われる存在になったのです。
「どうすればいいの!」


El frío de las montañas que me vieron crecer, en Bogotá y en Quito, me sirvieron para combatir el frío del invierno canadiense… Por los primeros 3 días.
¡Qué frío!
私はやはりボゴタ出身なのでしょうか?
私が育ったボゴタやキトの山々の寒さは、カナダの冬の寒さに立ち向かう助けになりました…最初の3日間だけですが。
なんて寒さでしょう!
しかし、先にも言ったように、すべては慣れの問題です。いくつかの街を転々とした後、私はカナダのトロントに住むことになりました。トロントは、私がこれまでの人生で最も長く住んだ街となりました。なんと合計で4年間も住んだのです!それまで、一つの街に3年以上住んだことはありませんでした。
――では、私はトロントの人間なのでしょうか?それとも、やはりボゴタの人間なのでしょうか?

A Toronto le saqué un cariño inmenso. Pudo ser por el punto en mi vida en el que estaba, porque decidí vivir ahí por mi propia cuenta, porque me pude independizar un poco más, porque se perece a Bogotá, o por haber vivido la mayor cantidad de años. No lo sé. Pero Toronto se sintió como mi hogar.
トロントにはとても大きな愛着を感じました。たぶん、それはその時の私の人生の状況や、自分の意思で初めて一人暮らしを始めたこと、少しずつ自立できたこと、トロントがボゴタに似ていたこと、そして何よりも長く住んだ場所だったことが影響しているのだと思います。正直なところ、理由ははっきりわかりません。でも、トロントは私にとって「家」のように感じられました。
その後、私はカナダのモントリオールにごく短い期間だけ住みました。ここもまた、とても素敵な街でした。(メキシコでは「とてもかっこいい」という意味で“muy padre”と言います。)トロントやモントリオールでの生活や、世界中から来た多くの人たちと出会ったことで、もっと広い世界を知りたい、もっと地球のことを見て回りたいという気持ちが強くなりました。そうして、ついに日本へ引っ越す時が来たのです。
長年カナダで暮らし、そこで成長したことで、私はカナダ人としての生活に馴染みました。二重国籍を持つまでになったのです。これは、日本に来るための扉を開くのにも役立ちました。私はカナダ人として日本に来ました。なぜなら、その自覚があり、そうだからです。でも同時に、コロンビア人としても生きています。なぜなら、それもまた自分自身の一部だからです。
¿Soy colombiano o canadiense?
ラテンアメリカでは、私の顔を見れば誰もが私が「そこ」(つまりコロンビア)出身だと疑いません。カナダでは、見た目がどうであろうと関係なく、みんなカナダ人として扱われます。しかし日本では、私は明らかに「ここの人」ではないことがわかります。(たぶん、髪型のせいだと思いますが、はっきりとはわかりません。)人々はいつも私に「どこから来たの?」と尋ねます。これはごく普通の質問で、日本に来る前は説明を添えて答えることができました。
ですが、日本の多くの人は他の国で育った経験がなく、国自体もあまり多様な民族で成り立っていないため、私がどこから来たのかを理解するのが難しいようでした。ただ一つ確かなのは、私が日本人ではないということです。(それはよく理解できます。)
今は広島に5年住んでいます。トロントに住んでいたよりも長くなりました。これは一体どういう意味なのでしょうか?
私はボゴタ出身なのか、トロント出身なのか、それとも広島出身なのか?
もしこのまま住み続ければ、15年後には日本に住んでいた時間が一番長くなっているでしょう。最近、私はそのことをよく考えています。そしてその時、私は本当に、
「自分はどこ出身なんだろう?」
と改めて自問するでしょう。
今のところ私が思いつく答えはただ一つ。
それは「どこ出身かは、あまり重要ではない」ということです。
大切なのは、自分がどんな気持ちでいるかです。もちろん、どこかに「自分の居場所」を感じて、「ここが自分の出身だ」と誇りを持って言えることが理想です。そして実際、私は自分の出身地を誇りに思っています。
私は、ボゴタで生まれたコロンビア人であり、人生の多くをカナダで過ごし、今は日本を新しい家として感じています。物理的には3つの国に家があるわけではありませんが、心の中では3つの家を持っているように感じています。それはとても豊かなことだと思います。

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コツは、諦めずに読み進めること!スペイン語習得のために大事なインプ
